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かながわ国際交流財団 設立40周年

1977年の設立以来、2017年で40周年を迎えたかながわ国際交流財団(KIF)。
どんな時代状況の中で、どのような活動を行ってきたのでしょうか。
主な事業をご紹介しながら振り返り、将来を展望したいと思います。

KIFの歴史は、多くの方のご協力で進められてきました。長期間、多岐にわたる事業の中で、現在のスタッフには見えないことも多いと思います。

当時の様子についてのコメントや、お気づきの点などありましたら、ぜひこちらへご連絡ください。

第1回 はじまりは「人と文化の交流」~神奈川県国際交流協会(KIA)設立~

第1回は、1977年の設立から1980年代の後半にかけての神奈川県国際交流協会(KIA)の事業についてご紹介していきます。 <関連年表リンク>
※写真はクリックすると拡大します

横浜港をのぞむ産業貿易センタービルに誕生

財団法人神奈川県国際交流協会(KIA)は、国際交流のための啓発普及と、民間の自発的交流を推進する事業の中核となる組織として、1977年2月に神奈川県により設立されました。

設立の契機となったのは、1975年から5期20年間つとめた長洲一二知事のもと、神奈川県が提唱した「民際外交」です。長洲知事就任の翌年、1976年7月に県庁内に国際交流課が新設され、KIAの設立はそれに続く1977年2月です。同年7月には、横浜港をのぞむ産業貿易センタービルの9階に、「県民と外国人が自由に出会い接触し、相互理解を深め交流できる活動の中心施設」として「神奈川県国際交流センター」が横浜国際会議場(横浜シンポジア)などと共に開設されました。

KIAは、同センターを運営しながら、神奈川県庁と市民との間に立つ存在として、広く県民参加による国際交流を進める役割を期待されました。設立後、多くの事業は神奈川県庁との緊密な関係のもと、「車の両輪」として進められました。



設立当初の事業

神奈川には、近代日本における海外からの玄関口である横浜港、近代産業の中心となった京浜工業地帯が立地しています。海外に対する人々の関心も高く、中華街や外国人墓地からイメージされるように、長期・短期滞在の外国人も多く、日本の中でも国際社会の動向に敏感な土地柄です。

しかし設立時は、一般の人々が海外の人や情報と接する機会はまだまだ限られていました。1977年2月の対ドル円相場は1ドル285円。旅行や仕事での海外渡航も容易ではありませんでした。インターネット普及は20年ほど待たなければなりません(日本初のインターネットポータルサイト「YAHOO!JAPAN」のサービス開始は1996年)。

このような背景から、KIAが設立当初行っていた事業は次のようなものです。

海外事情紹介(展示、講演会・座談会、音楽や舞踊の公演・映画会など)
・外国人による日本語スピーチ大会
ホームステイ・ホームビジット事業、外国人との交流会、文通相手の紹介
・海外について書かれた資料や外国語資料の収集・提供(海外資料室の運営
英会話講座・日本語講座
日本から海外への移住相談会、移住に関する展示や講演会

日本から海外への移住に関する事業があることも目を引きますね。
KIAは、それまで日本から海外への移住の啓発と移住者の支援活動を行っていた(財)神奈川県海外協会を拡大・改組して設立されたのです。

明治以降、農村部の貧困などの理由から、政府や関係機関が移民を奨励し、戦後は現在のJICAの前身となる海外移住事業団が移民事業を統括していました。KIA設立の時点でも、神奈川県・JICA(現国際協力機構)との共催で、毎月移住相談会を行っていました。



設立時の施設と事業の紹介
KIAニュースレター「Hello Friends」No.1より

海外移住者へ送付した日本語資料へのお礼
「Hello Friends」No.3より抜粋


人と文化の交流① 海外事情紹介(展示・講演・公演など)

まず着手されたのは海外の文化や生活を紹介する「海外事情講座」です。最初は特定の国に関する写真やパネルの展示を講演や映画と組み合わせ、「イラン・ウィーク」「ポーランド・ウィーク」など、「●●ウィーク」と銘打った総合的な催しとして行われていました。

企画にあたっては、「大きな国より小さな国を、よく知られている国より知られていない国を、そして近くても『遠い国』を」「いたずらにその国の違いだけにスポットを当てず、我々と共通した日常生活のさまざまな側面を」紹介するよう努めた、と当時の発行物に記されています。
展示や講演を組み合わせた「●●ウィーク」という形態は、「知られていない国」を紹介するため、少ない素材を組み合わせた苦肉の策だったと言います。



海外事情講座第1回
イラン・ウィーク(1977年10月)


1977年~1986年に実施された海外事情紹介事業はこちらで見られます



人と文化の交流② 英会話講座~Study and Grant Program

「人と文化の交流」として始められたこの時期の事業の中で、最も長く続き、多くの方が関わってくださったのが、英会話講座です。1977年から2011年まで、34年間継続されました。

この事業の大きな特徴は、英語の習得だけでなく、相互理解を重視したプログラムとなっていたことです。講師は英会話を教えるだけでなく、神奈川の生活・文化から関心のあるテーマを調査・体験し、成果をまとめていました。

事業開始当初は既に県内に在住していた方に講師を依頼していましたが、1981年に神奈川県が米国メリーランド州と友好提携を行った後、1983年から同州の姉妹都市委員会の推薦により講師を神奈川に招聘するようになりました。招聘手続きや住まいの借り上げなどをKIAの職員が行い、事務所で机を並べて、同僚として働きました。

「Festive Kanagawa」は、メリーランド州の中学校教師ジョン・キャロル・シソンさんが神奈川県内の53の祭りを取材し、外国人向けのガイドブックとして英文で出版したものです。取材・出版にはKIAの会員を中心に募った「お祭りボランティア」が協力、シソンさんとの協働作業を通じて共に神奈川の文化を再発見しました。帰国後メリーランドの中学校に復職されたシソンさんは、日本語や日本文化を教える授業にも関わり、現地の生徒を連れて、何度も神奈川を訪れています。

KIAは、メリーランド州へ何度か交流や視察のためのツアーを派遣しています。受入は姉妹都市委員会を核とし、帰国した英会話講師の方々などを含む現地の方々のつながりの中で行われました。神奈川から現地を訪れた方々によるグループがメリーランドとの交流を進めたり、神奈川のNGO関係者をメリーランドのNPOへインターンとして派遣する事業も行われました。 ひとつの地域と継続的につながっていくことで、個人としての交流とは違い、互いの地域の背景や人のつながりが実感できる機会になりました。



「Festive Kanagawa」表紙と口絵写真

メリーランド州の中学生による神奈川訪問。
中央がジョン・シソンさん


主役はひとりひとり~県民の活動を支援

設立から5年がすぎた1982年から1983年には、県内の個人・団体が自主的に企画した様々な交流活動を支援するための事業が開始されました。
「民際交流援助金」制度と、国際交流団体リスト「便利帳」、通訳・翻訳者リスト「ヘルピング・ハンド」の発行です。

民際交流援助金は、神奈川県内の個人・グループが自主的に企画・実行する国際交流活動を資金面で援助する仕組みでした。対象は、開始当初は海外で実施する活動に限られていましたが、1984年からは国内での活動も対象に加わりました。

1977年~1986年の民際交流援助金提供先はこちら

「ヘルピング・ハンド」は、通訳や翻訳の問題で困っている県内の国際交流団体のために、語学力や海外経験のあるボランティア希望者の情報を集めて発行した冊子です。10か国語、約300名についての情報が掲載されました(1984年初版時)。

「便利帳」は県内で活動する団体の活動内容を広く知っていただき、団体の活動の充実や団体相互の情報交換に役立てていただく趣旨の冊子で、県内の86団体と全国規模で活動する9団体が掲載されました(1984年初版時)。「ヘルピング・ハンド」「便利帳」とも形を変えて改訂され、「ヘルピング・ハンド」にはその後日本語教師の情報も掲載されました。

このような「活動を支援するための活動」は、その後もKIAの活動の重要な柱となっていきました。これは、県という広域を対象とした団体として、限られた予算や人員でできることとして行った、という現実的な側面もあるでしょうが、当時の資料をもとに振り返ってみると、やはり設立の理念「民際外交」がしっかりと事業企画の背景にあったことを感じます。



「民際交流援助金」初回受給者紹介
Hello Friends No.56より(1983年2月)


設立の理念「民際外交」とKIA …平和と民主主義を土台に

「民際外交」は、1975年の長洲知事就任後20年にわたり、神奈川県の国際政策の中心となった理念です。その基本理念は以下のようなものでした。

「世界を構成する基本的な単位は『国家』ではなく『人間』であり、
世界中の人々が同じ人間として尊重され、
共に平等に生きることができる国際社会をめざすことが
世界平和の原点となる」


なぜ交流か、また、どんな交流を目指すのか、という基本に、この平和をめざす「民際外交」の考え方がありました。第2次世界大戦後、異なる人々への無知がおこした疑惑と不信を省みて「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」としたユネスコ憲章の前文も思い出されます。

神奈川は米軍基地の数が沖縄に次いで多く、平和への取組もより切実だったのです。人々の目が今よりずっと欧米先進国に向いていたころ、当時の職員が、小さな国を、知られていない国をと展示の素材集めに奔走した背景には、こうした考え方があったことでしょう。

また、後に神奈川県は、「民際外交」を基礎とする国際施策の基本的な考え方として、①課題領域のグローバリゼーション(地球市民として、生活者としての視点を持ち行動する)、②担い手のローカリゼーション(自治体、民間団体など多様な場で多様な担い手が参加)と共に、③方法のデモクラタイゼーション(民主化)を挙げ、市民の主体性と民主主義を大切にする姿勢を明記しています。(「かながわ国際政策推進プラン」1991年、神奈川県)
KIAが行う「活動を支援するための活動」もまた、ここに土台があります。

「民際外交」は、相互依存が進む世界の中で、国家だけではなく、何よりも人間と、その人間が日常を営む地域・地方が、国を超えてつながることを提唱しました。

平和はひとりひとりの手で、日常の中から作る、という自負と希望があったのではないでしょうか。

「民際外交」の取組は、その後時代状況や実践の中で形を変えながら継続され、
KIAの事業も、それに対応して変化していくことになります。

第2回「交流から協力へ」に続く



参考資料


10年のあゆみ (財)神奈川県国際交流協会 1987年10月発行
(1977年~1986年3月までの全てのKIA事業を掲載)

・神奈川県国際交流協会ニュースレター Hello Friends
・民際外交の挑戦 地域から地球社会へ 1990年12月 日本評論社発行
・かながわ国際政策推進プラン 1991年5月 神奈川県発行
・民際外交の研究 1997年6月 三嶺書房発行
・民際外交20年 世界に開かれた神奈川をめざして 1995年3月 神奈川県発行
・多文化共生に関する現状およびJICAでの取り組み状況にかかる基礎分析 2007年3月 JICA国際協力総合研修所

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